第855回「暖房器具は何を利用しますか?」
「寒い・・・・」
思わずそう言葉が零れた。
長編の映画を撮影するということは、かなりの長い時間をかけて少しづつシーンを重ねていくことだ。
監督の意向にも寄るが、吟味に吟味を重ねるタイプならば、それこそ気の遠くなるような時間をひとつの一つの場面にかけることもある。
そして、当然その間に季節も移りかわる。
暖かく心地のよい時期もあるが、衣装のままでは辛いくらい寒くなるときもある。
しかも自分が今出演している映画は、ストーリーがストーリーなだけに屋外での撮影が多い。
つまり天候の影響を直に受け、それについては人間はなすすべもない。
そんなことは、幼い頃からプロとして役者をやっているイライジャ・ウッドには、出演を決めたときから分かりきっていたことだ。
だから、その言葉が零れたのは、ほんの小さな気の緩みみたいなものだった。
別に誰かに何かしてもらおうと言うのではなくて、ただ、純粋にそう思ったからで。
元々それなりに我慢強い性格だし、大人ばかりの出演者やスタッフのなかで『寒いからなんとかしてくれ』なんて甘えたことを言うつもりは欠片もなかったのだ。
だが、見た目に反して意外なほど 目ざとい共演者は、僕の小さな呟きを、聞き逃さなかったようだ。
「どうした。イライジャ、寒いのか?」
「あー、うん。大したことないけどね、」
僕の共演者・・・ボロミア役をこなすショーン・ビーンは、長身を少し屈めて僕と視線を合わせてきた。
それに慌てて、僕はうつむいて視線を落とした。
正直なところ、彼には今の呟きは聞かれたくなかった。
逞しい大人の体、穏やかで理知的な顔立ち。
そしてなにより、その暖かで包み込むような優しい性格。
長く長く続く撮影の中で、彼に惹かれるな、という方が僕には無理な話だった。
そんな自分の心を自覚したのが、もう一月は前のこと。
それ以来、彼の目に少しでも良く映ろうと努力してきたのだ。
うっかり『寒い』などと零してしまったのは、僕のとって大きな失敗だった。
彼ならばこれしきの寒さ、感じもしないだろう。
ただでさえ僕をどうも子ども扱いする彼に、さらに女々しい印象を与えたくない。
「・・・そうは言っても、手の先が真っ赤じゃないか。」
「・・・!!」
彼はそう言うと、何気ない仕草で、ひょいと僕の手を掴みあげて握ってきた。
彼のごつごつした太い指が、しっかりと僕の手を包み込む。
「それに、少し震えている。」
震えているのは 今は寒さのせいじゃなくて、あんたのせいなんだ、と心の中で声にならない声をだすけれど、それが彼に伝わるはずもない。
ショーンは少し眉を寄せると、彼特有の低い声で僕を嗜めた。
「寒いなら寒いと早く言った方がいい。」
「で、でも、みんな次のシーンの準備で忙しいし、」
そう。
今日は、急な天候の悪化やシーンの調整で、スタッフはみんな大忙しなのだ。
いつもなら役者が寒くないように、と誰かが毛布を持ってきたりと色々気遣いがあるのだが、今日はそうもいかないらしい。
「それも、そうだな・・・、なら、」
「っぅわ!」
彼に急に強く腕を引っ張られ、僕はバランスを崩して小さく叫ぶ。
転ぶ、と思った瞬間当たったのは、なにやら硬くて暖かい感触だった。
「暖まるなら、人肌が一番だろう」
彼の声が、僕の真上からする。
そう言ってショーンは 果てしなく邪気のない、父親のような笑顔で僕を見下ろしてきた。
確かに、すっぽりと包まれた彼の腕のなかは、他のどこよりも暖かかった。
(本当に、人の気も知らないで・・・。)
この暖かさに惑わされてばかりだが、どうにか今年の冬はこの暖房を僕だけのものにしたい、と僕は熱で溶けた頭で考えた。
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