逢魔時
道士郎×殿、
江戸時代遊郭パラレル
っていうベタな設定なのでご注意ください。
夕暮れ時は、魔の通る時。
気をつけなければ、魔に囚われてしまう。
気をつけなければ、心が攫われてしまう。
「健助。」
鮮やかな色彩で彩られた障子が音もなく開かれると、少し派手な衣装に白い髪をした少女が立っていた。
「あの男。またお前に会いに来てる。今お母さんと話してるけど、そんな格好してたら不味いんじゃないのかよ。」
彼女は、僕の着物も帯も何もかも取り払った襦袢姿に、チラリと視線を落として言う。
かなり可愛らしい容姿をしているのに、その尖った雰囲気のせいか 一度たりともニコリと笑わないせいか、客の評判はイマイチだ。
それでも馴染みの客が買い続けているらしく、店主である“お母さん”からは大切に扱われている。
「ありがとエリタン。」
にっこりと笑みを作ってお礼を言うと、彼女の白い眉間に皺が寄せられた。
『その名前で呼ぶな』と言外に言っているようだが、実は本人もそう嫌ってはいないのを知っているので、特に気にしていない。
その様子が癪に障ったのか、エリカは長い着物の裾を掴むとドスドスと足音を立てて自室の方へ向かってしまった。
この色町に珍しく、はっきりと感情をあらわにする様子に思わずまた小さく笑いが漏れた。
僕は寝そべっていた布団から起きだし、あちこちに散らばった着物にのろのろと袖を通す。
だが今日は初夏にしてはひどく暑く、重たい着物をわざわざ着る気にもなれず 直ぐに放り出した。
どうせ彼も、そんなことで腹を立てたりしないだろう。
万一腹を立ててこの先 僕に会いに来なくなっても、僕の心労が減るだけだ。
もちろん、店のお母さんは怒るだろうけど。
「・・・・・彼は、何で僕に会いに来るんだろうね」
誰ともなしに呟くと、障子の外に人の動く気配がした。
「健助姉さま、道士郎のだんな様がお越しでありんす。」
「ああ、うん。入ってもらって。」
かずらの声におざなりに返事をすると、明らかに障子の向こうで戸惑っているのが分かる。
ここは超高級遊郭とは言えないが、安い娼館ではないのだ。
いくら馴染みとはいえ、買いに来た客を出迎えもせず 障子を開けもしない遊女は、確かに他には居ないだろう。
ああ、小さい子を苛めるのは良くないな、とぼんやり思っていると、外で小声でいくつか言葉が交わされ、かずらが去り 『失礼致す』との言葉と共に障子がするりと開いた。
「健助殿・・・・・」
「久しぶりだね、道ちゃん。」
だらしない格好で布団に半分寝そべる僕に、彼がその意思の強そうな眉をグッと顰める。
声を掛けても返事をしないところを見ると、どうやら僕の怠惰な姿が気に入らないようだ。
がっしりと背の高い彼が部屋の中に入ってくると、そう狭い部屋でもないはずなのにひどく圧迫感があった。
「今日は早かったね。まだ日暮れ前だよ。」
いつも彼は、夜が更けてから、闇に紛れるようにして僕のところへ渡ってくる。
そして、それを僕も当たり前だと思っていた。
彼は誇り高き武士なのだ。
おおっぴらに遊郭に通う 色惚けた なまくら侍たちとはわけが違う。
だが、僕の言葉に彼はス、と僕から視線をそらした。
その仕草に、彼がそのことについて触れられたくないのだと悟り、僕は口を閉ざした。
元々特に大した意味はない質問だったのだ。
「まぁ、今日は夕日が綺麗でいいよね。」
僕は詰まらない事を口の中でゴチャゴチャ言って、少し道士郎に近づいた。
立ち上がらずに膝で床をすって歩き、道士郎が手を伸ばせば届くギリギリのところで僕は正座で座る。
すると ようやく、道士郎はその切れ長の目を僕に向けてきた。
「健助殿・・・・・。お変わりないようで。」
彼の声は相変わらず深く、低く。
耳を通して、僕の心の奥を刺激する。
その切れ長の目に僕が映っているというだけで、僕はどうしようもない興奮を覚える。
彼の目に映るのが、汚らしい淫売だと分かっていても、湧き上がる気持ちをどうにも抑えきれない。
「そう、見える?」
可愛げのない、意地の悪い返事だと自分でも思う。
嫌味など言いたくないのだけれど、口が勝手に動いてしまう。
・・・・・だって、僕は、変わってしまったから。
僕の言葉に、彼は綺麗な形をした眉をピクリと動かした。
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江戸時代遊郭パラレル
っていうベタな設定なのでご注意ください。
夕暮れ時は、魔の通る時。
気をつけなければ、魔に囚われてしまう。
気をつけなければ、心が攫われてしまう。
「健助。」
鮮やかな色彩で彩られた障子が音もなく開かれると、少し派手な衣装に白い髪をした少女が立っていた。
「あの男。またお前に会いに来てる。今お母さんと話してるけど、そんな格好してたら不味いんじゃないのかよ。」
彼女は、僕の着物も帯も何もかも取り払った襦袢姿に、チラリと視線を落として言う。
かなり可愛らしい容姿をしているのに、その尖った雰囲気のせいか 一度たりともニコリと笑わないせいか、客の評判はイマイチだ。
それでも馴染みの客が買い続けているらしく、店主である“お母さん”からは大切に扱われている。
「ありがとエリタン。」
にっこりと笑みを作ってお礼を言うと、彼女の白い眉間に皺が寄せられた。
『その名前で呼ぶな』と言外に言っているようだが、実は本人もそう嫌ってはいないのを知っているので、特に気にしていない。
その様子が癪に障ったのか、エリカは長い着物の裾を掴むとドスドスと足音を立てて自室の方へ向かってしまった。
この色町に珍しく、はっきりと感情をあらわにする様子に思わずまた小さく笑いが漏れた。
僕は寝そべっていた布団から起きだし、あちこちに散らばった着物にのろのろと袖を通す。
だが今日は初夏にしてはひどく暑く、重たい着物をわざわざ着る気にもなれず 直ぐに放り出した。
どうせ彼も、そんなことで腹を立てたりしないだろう。
万一腹を立ててこの先 僕に会いに来なくなっても、僕の心労が減るだけだ。
もちろん、店のお母さんは怒るだろうけど。
「・・・・・彼は、何で僕に会いに来るんだろうね」
誰ともなしに呟くと、障子の外に人の動く気配がした。
「健助姉さま、道士郎のだんな様がお越しでありんす。」
「ああ、うん。入ってもらって。」
かずらの声におざなりに返事をすると、明らかに障子の向こうで戸惑っているのが分かる。
ここは超高級遊郭とは言えないが、安い娼館ではないのだ。
いくら馴染みとはいえ、買いに来た客を出迎えもせず 障子を開けもしない遊女は、確かに他には居ないだろう。
ああ、小さい子を苛めるのは良くないな、とぼんやり思っていると、外で小声でいくつか言葉が交わされ、かずらが去り 『失礼致す』との言葉と共に障子がするりと開いた。
「健助殿・・・・・」
「久しぶりだね、道ちゃん。」
だらしない格好で布団に半分寝そべる僕に、彼がその意思の強そうな眉をグッと顰める。
声を掛けても返事をしないところを見ると、どうやら僕の怠惰な姿が気に入らないようだ。
がっしりと背の高い彼が部屋の中に入ってくると、そう狭い部屋でもないはずなのにひどく圧迫感があった。
「今日は早かったね。まだ日暮れ前だよ。」
いつも彼は、夜が更けてから、闇に紛れるようにして僕のところへ渡ってくる。
そして、それを僕も当たり前だと思っていた。
彼は誇り高き武士なのだ。
おおっぴらに遊郭に通う 色惚けた なまくら侍たちとはわけが違う。
だが、僕の言葉に彼はス、と僕から視線をそらした。
その仕草に、彼がそのことについて触れられたくないのだと悟り、僕は口を閉ざした。
元々特に大した意味はない質問だったのだ。
「まぁ、今日は夕日が綺麗でいいよね。」
僕は詰まらない事を口の中でゴチャゴチャ言って、少し道士郎に近づいた。
立ち上がらずに膝で床をすって歩き、道士郎が手を伸ばせば届くギリギリのところで僕は正座で座る。
すると ようやく、道士郎はその切れ長の目を僕に向けてきた。
「健助殿・・・・・。お変わりないようで。」
彼の声は相変わらず深く、低く。
耳を通して、僕の心の奥を刺激する。
その切れ長の目に僕が映っているというだけで、僕はどうしようもない興奮を覚える。
彼の目に映るのが、汚らしい淫売だと分かっていても、湧き上がる気持ちをどうにも抑えきれない。
「そう、見える?」
可愛げのない、意地の悪い返事だと自分でも思う。
嫌味など言いたくないのだけれど、口が勝手に動いてしまう。
・・・・・だって、僕は、変わってしまったから。
僕の言葉に、彼は綺麗な形をした眉をピクリと動かした。
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CO*0 ]
四字熟語
道士郎(と僕)が開久に来てから、このバカな不良学校は大分変わったらしい。
あの『愛の基金』とか言う制度が廃止されたのは勿論、道士郎たち自警団に見つかるのを恐れて、生徒が夜中悪さをすることが大分減った。
鎌を持った武士が 校庭をウロウロしているから、校舎の壁に落書きをする輩もいなくなった。
また、道士郎が のろし と間違えて寄ってくるから、学校内でタバコを吸う生徒も少なくなった。
そんな生徒たちの変化に、多少の良心が残っていたらしい先生たちは、以前より大分 教師らしく授業をするようになってきていた。
たとえば、時間通りに教室にやってきて、席についていない生徒には注意してみたり。
たまには、生徒を指名して教科書を読ませてみたり。
以前は普通の学校に通っていた僕には理解できないが、このことは開久には驚くべき変化だったようだ。
僕も、この高校が少しでも世間の常識に近づいたのは嬉しく思っている。
心から、それは思っている。
・・・・・だが、常に変化には色々と弊害が付きものらしい。
「健助さぁーーーーん!!助けてくださぁーーーーい!」
サトチンの無駄に大きな声に、僕の小さな心臓は 一瞬口から飛び出しかけた。
何しろ、サトチンが僕に助けを求める時は、碌な事が起こらないのだ。
「ど、どうしたのサトチン?」
授業も終わり、このトラブルばかり起こる学校から抜け出そうとしていた僕は、教科書を鞄に詰めながら尋ねた。
もし 僕の手に負えそうにないことだったら、と鞄を掴んで一気に逃げれる準備を整える。
「け、健助さん!!オレ、大変な事になっちゃったんですよー!」
そう言うと、半泣きのサトチンは僕に一枚の紙きれを突き出してきた。
「・・・・・・これ、この前の漢字テスト?」
目の前のサトチンはコクリと頷く。
「でもこれ・・・・。まずいんじゃない?」
またもやサトチンはコクリと頷いた。
そう。
生徒の変化に張り切った先生たちは、月に一回、漢字と英語の小テストを実施するようになった。
小テストと言っても、『アルファベットを全て書け』とか、『この学校の名前を漢字で書け』とか、小学生レベルの内容だ。
・・・それなのに。
それなのに、今僕の目の前にある漢字の小テストには、堂々と赤く『ゼロ』の文字が記されている。
「オレ、漢字テストなんて受けるの生まれて初めてだったんですよー」
そんな訳ないだろう。
そう思わず突っ込みたくなるが、寸でのところで飲み込む。
サトチンも開久の生徒だ。
僕の想像の及ばない人生を歩んでいても おかしくない。
「・・・・・それで、どうするのコレ。」
いくら開久でも、この点数じゃあちょっと成績に響く。
特にサトチンは、道士郎や僕に感化されたのか、卒業後進学を希望しているのだ。
「それで、先生が、友達に聞いていいからやり直して来いって。」
そう言うと、尻尾の垂れた犬のようなサトチンは僕のほうをチラリと伺ってきた。
僕は彼の言わんとしていることを察して、教科書を詰めた鞄を下ろすと椅子に腰掛けた。
「知ってる四字熟語書けばいいんでしょ?サトチン、何かないの?漢字だったら一緒に辞書引いてあげるからさ」
僕は『事件じゃなくてよかった』とこっそり胸をなでおろしつつ、答案用紙を机の上に広げた。
そう。
この間の漢字テストは、『知っている四字熟語を一つ書け』という非常に緩いものだったのだ。
それでもサトチンは零点。
更に言うと、全校平均も確か似たようなものだった気がする。
「で、でもオレ、四文字熟語とか使わないですし・・・・・」
サトチンが情けない声を上げる。
「別に難しいのじゃなくてもいいんだよ?」
僕がそう言うと、サトチンは更に情けない顔をしてまた少し考え込んで。
しばらくすると、弾かれたように顔を上げた。
「あ、オレもありました!!知ってる四字熟語!!」
「ホント!?・・・・・・・で、何?」
僕は心の中で、『どうか 焼肉定食、とか言わないでくれますように』とこっそり神に祈る。
「あ、愛羅武勇です!!」
サトチンの 真っ赤だが何故か少し誇らしげな顔に、『それは四字熟語じゃないよ』僕は中々突っ込めずにいた。
CO*0 ]
自己犠牲=自己満足
「思っていてもしょうがないのに、どうしても好きな人がいるんだ」
そう今にも泣き出しそうな顔で呟いた健助殿は 今にも消えてしまいそうに儚かった。
健助殿のことを慕っていると、ただの主従として以上の意味で慕っていると気付いたのは、いつの頃だったか。
ふとした時に見せる凛とした佇まいから目が離せなくなり、穏やかな笑顔に惹かれ。
その小さな体を抱きしめたいと、柔らかそうな頬に触れてみたいと思い始めたのはいつの頃だっただろうか。
同性相手にこんな感情を持つことが信じられず、かと言って気付かない振りをするには既に恋心は大きく育ちすぎていて。
このまま 誰にも気付かれないように葬り去ろうと決め、きつく心に蓋をしたつもりだった。
淡い思いが漏れ出して、優しい健介殿を苦しめないように。
甘い期待が、拙者を狂わせないように。
だというのに。
いまだ拙者の心は、彼のその悲痛な叫びを聞いて、酷く痛んだ。
ここ暫くの間、健介殿はひどく気落ちしていた。
殿は元から健康的とは言いがたかったが、しおれた花のように 日々色を失っていく様を見るのは、今まで体に感じたどの痛みよりも拙者を苦しめた。
以前から白かった頬は 益々透き通るように色をなくし。キョロキョロと愛らしかった瞳からは、今は寂しげな感情しか読み取れない。
このままでは健介殿は消えていなくなってしまうかもしれない、という強迫観念にすら駆られ、無礼だとは知りつつも無理やり健介殿の自宅へ上がり込んだ。
口下手ゆえ 上手く聞き出すこともできず、ひたすら沈黙が支配していた空気を先にやぶったのは、健助殿だった。
『ごめんね。僕が最近元気ないから、皆に心配かけちゃって』
紡ぎだされた声は、やはり絹糸のように細く痛々しく、拙者はただ阿呆のように首を横にブンブンと振ることしかできなかった。
健介殿はベッドから降り、床に正座をする拙者の真正面に同じように座る。
向き合ったままの近い距離に、心拍数が早まり 思わず視線を落とす。
『でも・・・・・・・道士郎には聞いてもらいたいんだ』
拙者の顔を見て小さく微笑んでから、健助殿はひどく真剣な、まるで今から命を絶とうといおうかといった顔をして口を開いた。
「思っていてもしょうがないのに、どうしても好きな人がいるんだ」
「健助、殿・・・・・?」
「好きになっちゃいけないのに、僕のことは絶対見てくれないのに、忘れられないんだ・・・・・」
搾り出すような小さな呟きは、静まり返った部屋の中しっかりと拙者の耳に届いた。
だが拙者の頭は健介殿の言葉を上手く処理できず、その心の奥底まで覗き込むような瞳に視線を合わせたまま瞬きを繰り返すのが精一杯だった。
健介殿に、好きな人がいる。
言葉がゆっくりと耳の先から喉を通り、そして腹の奥まで落ちる。
そして腹の奥から理解したのと同時に、凶暴な感情が膨れ上がった。
健介殿に好きな人がいる。
人を殺したいと思ったことはなかった。
いくらクズでもカスでも、私利私欲のために人を殺めたいと思ったことはない。
だが今は、おなご であろうが子供であろうが、健介殿に慕われている相手であるのならば どれ程善人であろうが構わず斬り殺してしまえるだろう。
鋼の様と呼ばれた精神力も、理性もまるで役に立ちはしない。
健介殿にそれほど深く思われ、そして彼をここまで苦しめる人間の存在が憎くてたまらない。
どうしたら健介殿を他人の手になど渡せようか。
いっそのこと、このまま殿をどこかへ閉じ込めてしまおうか。
拙者の手しか届かない、どこよりも安全なところへ。
「・・・・・ごめんね、道ちゃん。変なこと言っちゃって。」
さっきよりも落ち着いた、それでいて先ほどより更に寂しげな健介殿の声が耳に響き、ハタと現実に引き戻された。
健介殿に視線を戻すと、やはり悲しげだが、ひどく澄んだ色の瞳に覗き込まれる。
「でも、道士郎に聞いてもらって良かった」
健介殿はふわりと優しく微笑み、その小さな頭をゆっくりと拙者の肩に預けた。
柔らかい髪を、衣服越しに感じる。
同じ男であるというのに、同じとは思えないほど軽く細い体。
その全身が、拙者を心の底から信じているかのように寄りかかってくる。
その深い信頼を感じた瞬間、今まで感じていた歯止めの効かない嫉妬心を ひどく恥じた。
今自分は、主人である健介殿に対して何をしようとした?
この、無垢で清らかな人に、一体何をしようとしたのだ。
「健介殿が誰を思っているのかは分かりませぬが、」
無理やり絞り出した声は硬く、不自然に響いた。だが構う事もできずそのまま続ける。
「拙者にできることがあれば、何でも致そう。」
その細い肩に手を回したくなるのをぐっと堪え、ひざの上できつく拳を握り締めたまま、できるだけ力強く言葉を発した。
「ありがとう、道ちゃん。」
健介殿のその信頼さえ得られるのならば、拙者は喜んでこんな感情になど蓋をしよう。
淡い思いが心の奥底で暴れようとも、甘い期待が心を蝕もうとも。
主の幸せこそが、武士の幸せなのだから。
CO*0 ]
爪を立てて
「疲れた?何か飲み物、持ってくるね。」
そう言うと麗一さんは、激しい運動の後とは思えないくらい 軽い足取りで立ち上がると僕に背を向けた。
質のよいベッドは音なんて立てなかったけど、彼がいなくなった分少しスプリングが跳ねる。
汗をかいているとはいえ、隣からいなくなってしまった体温が寂しくて立ち上がった彼のほうに目を向けた。
(・・・・あ。)
僕の視線の先には、綺麗な筋肉のついた広い背中。
そしてその背中に、何本も走る赤い線。
他の誰でもない、僕がつけた爪の痕。
僕が、わざとつけた、情事のしるし。
古い傷跡がなくなるまえに また僕が新しいのを付けるから、彼の背中はいつも傷だらけだ。
『別に痛くないよ』と彼は前に言っていたが、鮮烈な赤はどう見ても痛々しい。
もう少し見ていたかったのに、麗一さんがテキパキと服を着ていくので あっという間に見えなくなってしまった。
「寝てていいんだよ。」
僕の視線に気づいていたらしい麗一さんが、こちらを振り返る。
ふわりと落とされた笑顔は、美形一家の長男の名に恥じぬ美しさ。
やっぱり格好良いなぁ、とぼやけた頭で考える。
道士郎と少し似ている、白い肌に端整にととのった顔立ち。
道士郎と違って、どこまでも温和で柔らかい物腰。
きっと女の人にもてるんだろうな、と部屋から静かに出て行く麗一さんを見送りながら思う。
別に 麗一さんの事を信用してないわけじゃない。
でも、その明らかに女慣れした言葉や行動を見ていると、どうしても不安になってしまう。
ただの平凡な、むしろどちらかと言ったら地味な高校生の僕が 麗一さんに敵わないのは分かっているけれど、
いつもその経験値の差を見せ付けられているようで、怖くなってしまうのだ。
からかわれているんじゃないかと。こんなに好きなのは、自分だけなんじゃないかと。
だから、背中の痕は、僕のバカな牽制。
もし他の人が彼とベッドを過ごそうとしたら、すぐに分かるように。
女々しい事をしてる、という自覚はありながら、やめられない。
自分の汚さを思い知らされたような気がして、落ち込む気分もそのままに、僕は眠りに逃避することにした。
布団に潜り込むと、洗剤の匂いばかりがして さっきまで麗一さんが側にいたことすら忘れてしまいそうだった。
CO*0 ]
忠犬
「健助殿、危ないでござるよ」
突然体がふわりと浮いたかと思うと、道士郎の腕の中にすっぽりと包まれていた。
何事か、と思うと、今まで僕の歩いていた道路のそばを車が凄い勢いで走り抜けていった。
僕には当たらなかったかもしれないが、そのまま歩いていたらかなりビックリしただろう。
「あ、ありがと」
僕は未だ道士郎の腕の中に閉じ込められながらも、もぞもぞ動いてお礼を言う。
鋼のような質感を感じされる胸板が後頭部に当たって、思わず心拍数が上がってしまう。
そんな僕に気づいていないらしい道士郎は、「主君を守るのは武士の役目」と僕の顔を見下ろすと誇らしげに微笑んできた。
相変わらず腕の中なので、予想以上に近い距離に道士郎の端正な顔があって、思わず耳まで血が上る。
「健助殿。」
赤くなった自分に気づき、わたわたと慌てて道士郎から離れて制服の乱れを整えると、道士郎が不思議そうな顔をして首を傾げている。
そんな道士郎が不意に、グイ、と乱暴ではないが力強く 僕の腰を掴んで彼の隣に引き寄せた。
壁際に追いやられ、腰骨の敏感な部分を触られて、訳がわからずに僕の体は石のように固まってしまった。
小山のように大きい道士郎の影が迫り、彼の大きな手が僕の腰からわき腹にかけてをサラリと撫ぜる。
「・・・・・道、ちゃん?」
間近に感じる道士郎の体温に、僕の喉がコクリと小さく鳴る。
掌が汗ばんで、ヤクザに追いかけられた時のような恐怖が体を駆け抜けた。
目を閉じる事もできず、限界まで押し開かれた瞼は瞬きも忘れて道士郎の整った顔を見つめる。
魔法がかかったように僕の四肢はぴくりとも動かなくなり、恐怖と期待が入り混じったような感覚に襲われた。
だが。
そんな僕を横目に、道士郎は何事もなかったかのような顔をして、僕を守るように道路側にたつとスタスタと歩き出していた。
「健助殿は歩道側を歩かれよ。また何かあっては危ないであろう。」
まるで責任感の強い大型犬のような顔をした道士郎は、いつもの色気のかけらもない道士郎だ。
相変わらず心臓に悪い、と思いながら、先の見えない片思いと 道士郎の鈍さにため息をついた。
第626回「何の動物になりたい?」にSSSで答えてみた。
第620回「悲しい別れ、経験したことありますか?」にSSSで答えてみた。
今更トラックバックテーマ第620回「悲しい別れ、経験したことありますか?」にトラックバック。
No. 2 × エリカ。
別に悲しかったわけじゃあない。
それこそ そこまで親しくもなかったし、別れなんて言わないだろう。
でも。
「・・・・・どうしてんのかな」
優しく、してくれていた。
今の生活に別に不満があるわけじゃない。
健助やミヨリ、他にも初めてできた友達はよくしてくれている。
新しい部屋にも 毎日と言っていいほど訪れてくれ、孤独なんて感じさせないほど。
「もう、会えない、かな・・・・・」
父親代わりに育ててくれてきた人には、もう家に戻ってくるなと言われてしまった。
自分を守るために言ってくれたのだろうから、その意思には従いたい。
もう偶然を装って会うことはできないだろう。
松崎に絡まれた時にも、それこそ幼い時に嫌なことにあった時も、さりげなく守ってくれていた。
近くにいた時は不可解だったことが、今更ぼんやりと分ってくる。
ろくに言葉すら交わしたこともなかった事を、今更薄っすらと後悔した。
フローリングの床の上で鳴る物音に目を開くと、携帯が軽く震えて 着信を知らせている。
きっと携帯を開けば よく見知った小柄な、だが勇敢な少年の名が映し出されているだろう。
指先で拾い上げると、今日だけは、とベッドの奥に仕舞い込んでしまった。
別に悲しいわけじゃない。
ただ、胸に密かに襲いくる喪失感に 今日だけは浸っていたかった。
No. 2 × エリカ。
別に悲しかったわけじゃあない。
それこそ そこまで親しくもなかったし、別れなんて言わないだろう。
でも。
「・・・・・どうしてんのかな」
優しく、してくれていた。
今の生活に別に不満があるわけじゃない。
健助やミヨリ、他にも初めてできた友達はよくしてくれている。
新しい部屋にも 毎日と言っていいほど訪れてくれ、孤独なんて感じさせないほど。
「もう、会えない、かな・・・・・」
父親代わりに育ててくれてきた人には、もう家に戻ってくるなと言われてしまった。
自分を守るために言ってくれたのだろうから、その意思には従いたい。
もう偶然を装って会うことはできないだろう。
松崎に絡まれた時にも、それこそ幼い時に嫌なことにあった時も、さりげなく守ってくれていた。
近くにいた時は不可解だったことが、今更ぼんやりと分ってくる。
ろくに言葉すら交わしたこともなかった事を、今更薄っすらと後悔した。
フローリングの床の上で鳴る物音に目を開くと、携帯が軽く震えて 着信を知らせている。
きっと携帯を開けば よく見知った小柄な、だが勇敢な少年の名が映し出されているだろう。
指先で拾い上げると、今日だけは、とベッドの奥に仕舞い込んでしまった。
別に悲しいわけじゃない。
ただ、胸に密かに襲いくる喪失感に 今日だけは浸っていたかった。







